父親が92歳で行きました。
連日介護をしていましたが父親が天国へ行きました。
92歳でした私は生まれてからずっと一緒にいました。良いときも悪いときも同じ道を歩いてきました。
父親はお人好しで人が良すぎるぐらいお人好しでした。だから騙されることも多々あり多額の負債を背負う事も多々ありました。その為色々な人が群がってくるので沖縄にいては生活もままならい状態になり内地に家族で移住する羽目になりました。それでも生活が安定するまでには数十年かかりました。
70歳までは、仕事をしていました。引退後貸農園と図書館の往復の生活でしたが少しずつ認知症が出てきたので最後は沖縄へ連れ帰る決断をして80歳過ぎに沖縄へ連れて帰りました。その後は、図書館通いは続けていましたがだんだん歩けなくなり晩年んは、車で連れていく事も多くなりました。
晩年は、体力が衰え「朝の着替え介助」「食事介助」「トイレ介助」等様々において介助が必要な状態でした。それでも嫌ではなく後4~5年は介助をさせてくれると思っていましたが天国へ行ってしまいました。まだまだ悲しいのが多いですが思い出に代わるのには少し時間がかかりそうです。

父親の葬儀を行いました
全国的にはわかりませんが現在沖縄の葬儀の主流は、葬儀の日に繰り上げて49日まで行います。
その時に葬儀場の担当者と「繰り上げて49日まで葬儀を行いたい」と伝えないといけないです。そこでお坊様に払うお布施の値段が変わってきます。お通夜から泊まり込んで数人が線香を絶やさないようにして朝7時から出棺の準備をして8時頃出棺ん火葬場へ聞きました。そこで最後のお別れをして火葬が行われます。待ってる間食事の準備をします。人数分よりは少し多く頼みます。終わると葬祭所の方から案内がありお骨上げを行いました。父親は小柄でしたが火葬が終わるとものすごく小さく成ったように感じました。
その後葬祭会場へ向かい告別式が行われました。親族のみの告別式なのでほとんど身内しか来なくて時にして30分ぐらいで終わりそこ後お墓へ納骨へ向かいまいした。お墓で49日までの繰り上げのお経をあげてもらいました。そこでお坊さんとはお分かられをしました。その時にお布施をお渡しをしてお礼をしました。その後片づけをして自宅へ戻り仮の祭壇へ写真を置いて線香を立てて日中はロウソク線香を多々さないように食事も三度上げています。
まだまだ居なくなったと言う実感がわかずに生活をしています。突然「ただいま~」と何時もの声でデイケアから帰ってくるのではと心の何処かで思っている自分が居ます。