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沖縄・浦添の静かな午後|慰霊の日に思う平和

日常の事

Quiet Afternoon in Okinawa, Urasoe|Thoughts on Peace on Memorial Day

祈る女性

今朝の沖縄・浦添は薄曇りで、気温は28℃前後、湿度は80%と梅雨らしい空気に包まれていました。梅雨の沖縄では、急な雨や湿度の変化が起きやすく、生活のリズムも天気に左右されがちです。今日は慰霊の日ということもあり、少し重い話になりますが、沖縄・浦添の天気と季節の空気の中で、午後の出来事と平和について静かに記録していきます。

🌥 沖縄・浦添の午後の天気と季節の空気

昼ご飯を済ませて母をディケアに送り出したあと、ゆっくりと食器を片付けてからパソコンに向かいました。午後の浦添は、雲が広がりつつも時おり日差しが差し込む不思議な空模様。黒い雲が見えるのに、雨が降りそうな気配はあまりなく、気温は30℃前後、湿度も高めで蒸し暑さが続いています。

梅雨の後半に入る沖縄は、曇りと晴れが交互に訪れ、午後になると地面の熱気が上がって体感温度がさらに上がります。外出する際は、短時間でも水分補給が欠かせません。特に高齢の家族がいる場合は、室内の温度管理や風通しを意識するだけで、体の負担が大きく変わります。

🕊 慰霊の日の午後に思い出す、沖縄の記憶

今日は6月23日、沖縄では学校も休みになる「慰霊の日」。子どもの頃、この日は遊びに行く日ではなく、静かに仏壇に手を合わせ、平和について考える日でした。低学年のころは、先生が絵本や紙芝居で戦争の話をしてくれたのを覚えています。沖縄では、ほとんどの家庭に戦争で亡くなった親族がいます。

私の父の姉、つまり私にとっての叔母も戦争で亡くなりました。平和祈念公園の「平和の礎」に名前が刻まれています。父が元気だったころ、何度か礎へ連れて行きました。慰霊の日は人が多いので、私たちはいつも時間をずらして、落ち着いた頃に訪れていました。同じように、車いすを押しながら時期を外して訪れる家族の姿も何度か見かけました。

🏞 子どもの頃に見た防空壕と、父が語った戦争の記憶

小学生のころ、小学校の裏手にある山に防空壕があり、興味本位で友達と入ったことがあります。中は子どもが立って歩けるほどの広さで、割れた食器が端に積み上げられていました。戦時中に使われていたものだったのでしょう。

数十年後、父が70歳を過ぎたころ、その話をすると「それはわしらが小学生のころ掘らされた防空壕だよ」と教えてくれました。当時の子どもたちは「日本は勝っている」と教えられ、なぜ防空壕を掘るのかもわからないまま、毎日のように作業をしていたそうです。

しかし、やがて空にはアメリカ軍の飛行機が飛び交い、逃げ惑う日々が続き、父は捕虜となって収容所で暮らした後、元の場所に戻り、再び学校に通い始めました。父は普天間中学(現在の普天間高校)の3期生だったと話していました。

🌿 戦後の暮らしと、母が語る「本当の苦しさ」

父は戦後も政府の政策に翻弄され、生活の基盤を築くのに苦労し、人に騙されて借金を背負うなど、苦しい時期が続いたようです。母はそんな父を支えながら家を守ってきました。

母は今でもよく言います。「戦争中はまだご飯が食べられた。戦争が終わってからのほうが食べるものがなかった」と。他の人の話を聞いても、戦後のほうが食料の確保が難しく、生活が厳しかったという声が多いです。

🕯 平和を考える日としての慰霊の日

今の時代、平和の形は人それぞれですが、その平和の裏には数えきれない犠牲があります。慰霊の日は、沖縄に生きる私たちがその歴史を忘れず、静かに向き合う大切な日だと感じます。

✨ まとめ:沖縄・浦添の午後に、静かに平和を思う

薄曇りの午後、蒸し暑さの中で過ごす慰霊の日。父や母の記憶、子どもの頃に見た防空壕、そして平和の礎に刻まれた名前。沖縄・浦添の季節の空気の中で、改めて平和の尊さを感じる一日でした。今日のこの静かな時間を忘れず、これからも日々の暮らしを大切に積み重ねていきたいと思います。


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